TOMOX NEW YORK

ニューヨークで生活する日本人アーティストの日々の徒然日記。 ニューヨーク情報もお送りします。

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お気楽パリ日記を更新中ですが、突然珍しくも国際ニュース日記。
中国に遠慮してか日本ではあまり大きく報道されないチベット情勢についてちょっとだけ....


ダライラマさんが先日、中国に向けて声明を発表してます。
非常に立派な文章で、このような武力制圧と文化的侵略の真っ只中、対話による平和的解決を呼びかける感動的な内容だったので、全文を掲載したいと思います。
(今回申し訳ありませんがコメント欄は閉じさせて頂きます)


『中国のみなさまへの呼びかけ』


今日は、世界各地におられる私の兄弟姉妹である中国人の皆様、
とりわけ中華人民共和国内にいらっしゃる皆様に、心からご挨拶を申し上げます。
近年のチベット開発の状況を踏まえながら、
チベット人と中国人との関係についての私の考えを皆さまと共有し、
私から皆さま全員へ向けた個人的な呼びかけをさせていただきたいと思います。


私はチベットの悲劇的な騒動で亡くなられた人々を想い、
深い悲しみに沈んでいます。
私は、中国の方がお亡くなりになられたことも承知しています。
犠牲者となられた方々、またそのご家族を悼み、哀悼の祈りを捧げます。
この度の動乱は、いかにチベットの現状が逼迫しているか、
そしていかに早急に対話を通じて、平和的かつチベットと中国の双方にとって有益な解決が見いだされねばならないかをはっきりと示すものです。
このような局面に直面しながらも、私は、中国当局に対し、共に平和と安定を実現させていきたいという私の意志を表明します。


中国人の兄弟姉妹である皆様に、私にはチベットの独立を求めるつもりなどまったくないことを断言します。
私は、チベット人と中国人の間にくさびを打ち込もうなどとはまったく思っていません。
それどころか、私は絶えず中国人とチベット人の双方が確実に長期的な利益を得られる解決策をみつけられるように専心してまいりました。
それこそが真のチベット問題の解決といえるからです。
何度も繰り返し申し上げているように、私のいちばんの懸念は、チベット人独自の文化、言語、アイデンティティーを確実に存続させることができるかどうかということです。
仏教の教義に基づいて生きようと精進している一介の僧侶として、私は、私の動機が真実であると断言します。

私は中華人民共和国の指導部に対し、私の見解を理解いただいて、
「事実から真実をみつける」ことでチベット問題を解決していくよう要請してまいりました。
私は、中国指導部に対し、叡智を尽くしてチベットの人々との意味ある対話をはじめるよう強く求めます。
また、中華人民共和国の安定と調和に真摯に取り組み、中国とチベットの間にさらなる亀裂をつくることを避けるよう要請します。
この度のチベットでの事態を伝える中国国営メディアの報道には事実と異なる偽りの映像が使われており、予測不可能な長期的影響をはらんだ人種間の緊張の種を蒔くことになりかねません。
このことを私は非常に憂慮しております。
同様に、私が北京五輪を支援している旨を繰り返し述べているにもかかわらず、中国当局は、私が北京五輪を妨害しようとしていると言い放っています。
しかしながら、中国人の見識者のなかには中国指導部の行為、および、とりわけ中国とチベット間の長期的なマイナス影響の可能性に強い懸念を表明しておられる方も何人かいらっしゃり、そのことに私は力づけられている次第です。


古代から、チベットと中国の人々は隣人として暮らしてきました。
チベットと中国の有史2000年を振り返りますと、友好的な関係を育み、
中国から妃を迎えた時代があったその一方で、剣を交えた時代もありました。
しかし、仏教がインドからチベットに伝わる以前に中国で花開いてからというもの、我々チベット人は歴史的に中国の人々をダルマ(仏法)における兄姉として敬愛してまいりました。
これは、中国の外に住む中国人社会や、私の仏教講演に参加されたり、中国本土から巡礼者として私のもとを訪れたことのある中国人の方々の間ではよく知られていることです。
このような方々との出逢いに私は元気づけられましたし、彼らがチベットと中国の人々が互いをよりよく理解し合えるような架け橋になってくださるのではないかという気がしています。

20世紀は途方もない変化の時代でした。
チベットもまた、時代の荒波にのまれました。
1949年、中華人民共和国が建国されるとすぐに人民解放軍がチベットに進駐し、1951年5月に中国とチベットの間で17か条協定が結ばれました。
1954年から1955年、私は北京に滞在し、国家人民会議に出席していましたが、その折には毛沢東国家主席をはじめとする多くのリーダーと個人的な友好関係を育む機会をいただきました。
事実、毛沢東主席からはチベットの将来を見据えた問題も含むさまざまなアドバイスをいただきました。そのような確かな感触に励まされ、また当時の中国のリーダーたちの献身に鼓舞されて、私は自信と楽観を胸にチベットへ帰国しましたし、私と同じ希望を抱いていた中国共産党員のチベット人もいました。
ラサへ戻ると、私は中華人民共和国という家族の枠組みのなかで真のチベットの自治を求めるべくあらゆる努力をしました。
そうすることがチベットと中国、双方の人々にとって長期的な利益となる最善の方法だと私は信じていたのです。

残念なことに、チベットにおける緊張は1956年頃から高まりはじめ、やがて1959年3月10日にはラサで平和を求める蜂起が起こり、結果として私の亡命生活がはじまりました。
中華人民共和国の支配の下で、多くの前向きな開発が行なわれましたが、しかし、1989年1月に前パンチェン・ラマが指摘したように、これらの開発ははかりしれない苦しみと破壊という影を落としました。
チベットで暮らすチベット人は、絶えず中国政府から嫌疑の目を向けられ、絶えず怯えて暮らさねばなりませんでした。
しかしながら、チベットの人々を冷酷に抑圧する中国指導部を敵として視るかわりに、私は、彼らと友人になれるように祈りました。
つぎにご紹介する祈りのことばは、インドに亡命した翌年の1960年に私が作ったものです。
「彼らが善と悪を見分ける智恵の目を得られますように。そして彼らが、友好と愛の栄光のなかに留まることができますように」
多くのチベット人、学童たちが、毎日この祈りを唱えています。


1974年、チベット亡命政府のカシャック(内閣)および当時の亡命チベット代表者議会の議長と副議長との慎重な協議の末、我々は、中国からの独立を求めるのではなく、チベットにおける平和的開発を促すことになるであろう「中道」を見つけていくべきだと決断しました。
当時、文化大革命のさなかであった中華人民共和国と我々が接触を持つことはありませんでしたが、我々は、チベットをめぐる懸案を、遅かれ早かれ交渉を通して解決しなければならないこととして認識しておりました。
我々はまた、チベットが中華人民共和国という枠組みに留まるならば、少なくとも現代化と経済的発展において、大いにチベットに利することになるであろうことも認識しておりました。
チベットは伝統文化遺産に恵まれていますが、物質的に発達しているとはいえなかったからです。


チベットには世界の屋根があり、アジアの主な河の源流がありますから、
チベット高原の環境を保護することは極めて重要な問題です。
我々の最大の懸念は、普遍的な思いやりの心に根ざしたチベットの仏教文化、チベット語、チベット独自のアイデンティティーを保護していくことでしたので、我々はすべてのチベット人のために意味ある自治を達成すべく全身全霊で取り組んでまいりました。そして中華人民共和国の憲法では、そのような権利がチベット人をはじめとする国民に与えられています。


1979年、当時の国家主席であった鄧小平氏は、
「チベットの独立という問題を除くならば、すべての問題は交渉可能である」
と私の特使に断言しました。
我々はすでに中華人民共和国という政体の枠組み内でチベット問題を解決する道を模索する方法を公式化していましたので、これをあらたな好機と捉えておりました。
私の代表団は中華人民共和国の当局者と何度も会いました。
2002年にあらたな交渉が開始されて以来、我々は6回に渡る交渉を行なってまいりました。
しかしながら、基本的な問題においては、まったく進展がありません。それでもなお、何度も述べてきましたが、私は中道のアプローチを断固として貫き、対話を通じて問題を解決していく所存ですし、その決意をいまここで繰り返し伝えさせていただきたく思います。


中国の方々は、今年開催される北京五輪を誇りに思い、たのしみにしておられることでしょう。
私自身も、当初から、北京がオリンピックの開催地となる機会に恵まれることを願い支持しておりました。
その気持ちは今も変わっていません。
中国は、世界一の人口、長い歴史、極めて豊かな文明を持つ国です。
昨今、中国は目覚しい経済成長を遂げ、大きな力を持つ国として台頭しています。これはじつによろこばしいことです。
しかし中国は、国際社会の一員として尊敬に値する国になるために、透明性、自由、法律に則って調和ある開かれた社会を築いていく必要があります。
例を挙げるなら、今日に至るまで、天安門事件の犠牲者は、損害賠償のみならず政府の公式な返答を受けていません。
同様に、地方に住む何千もの中国人が、腐敗した地方役人の不正な搾取に苦しんでいます。
法に則って苦言を呈した者は無視されるか、攻撃されるかなのです。
私はこのような懸念を、人間という同志のひとりとして、そして中華人民共和国という大家族の一員として自分をみなす準備ができている者として表明する次第です。
またそのような観点から、私は、「調和した社会」をつくるという胡錦濤国家主席の政策を高く評価し、支持いたしております。
しかしながら、そのような社会は、言論の自由や法治をはじめとする自由な空気や信頼関係があってこそはじめて生まれるものです。
このような価値を受け入れるならば、少数民族に関する多くの重要な問題---チベット問題、東トルキスタン問題、総人口2400万のうち本来の住民の人口が20%を占めるに過ぎなくなっている内モンゴル問題---を解決できると私は固く信じています。


私は、「チベットの安定と安全は国家の安定と安全である」という胡錦濤国家主席の最近の声明がチベット問題解決に向けてのあたらしい時代の夜明けを告げてくれるものであればよいと願っておりました。
しかし残念なことに、中国からチベットを分離しないよう努めてきた私の真摯な努力にもかかわらず、中華人民共和国のリーダーたちは、私のことを「分離主義者」と呼び、非難し続けています。
同様に、ラサをはじめとする多くの地域でチベット人が深く根ざした憤りの自然な現れとして抗議行動を行なったときも、中国当局はたちどころに私を、デモ抗議を指揮しているとして非難しました。
私は、このような根拠のない主張の事実を明らかにすべく、しかるべき機関による徹底的な調査が行なわれるよう要請しています。


私の兄弟である中国人の皆様、あなたがどこにおられる方であろうと、中国とチベットとの間にある誤解を打ち消すべく力を貸してください、と私は深い憂慮をもってお願い申し上げる次第です。
また、我々が理解と和解の精神で対話を通じてチベット問題を平和的かつ永続的に解決できるようお力添えくださいますようお願い申し上げます。


祈りを込めて

ダライ・ラマ



An Appeal to the Chinese People

Today, I extend heartfelt greetings to my Chinese brothers and sisters around the world, particularly to those in the People’s Republic of China. In the light of the recent developments in Tibet, I would like to share with you my thoughts concerning relations between the Tibetan and Chinese peoples, and make a personal appeal to all of you.

I am deeply saddened by the loss of life in the recent tragic events in Tibet. I am aware that some Chinese have also died. I feel for the victims and their families and pray for them. The recent unrest has clearly demonstrated the gravity of the situation in Tibet and the urgent need to seek a peaceful and mutually beneficial solution through dialogue. Even at this juncture I have expressed my willingness to the Chinese authorities to work together to bring about peace and stability.

Chinese brothers and sisters, I assure you I have no desire to seek Tibet’s separation. Nor do I have any wish to drive a wedge between the Tibetan and Chinese peoples. On the contrary my commitment has always been to find a genuine solution to the problem of Tibet that ensures the long-term interests of both Chinese and Tibetans. My primary concern, as I have repeated time and again, is to ensure the survival of the Tibetan people’s distinctive culture, language and identity. As a simple monk who strives to live his daily life according to Buddhist precepts, I assure you of the sincerity of my personal motivation.

I have appealed to the leadership of the PRC to clearly understand my position and work to resolve these problems by “seeking truth from facts.” I urge the Chinese leadership to exercise wisdom and to initiate a meaningful dialogue with the Tibetan people. I also appeal to them to make sincere efforts to contribute to the stability and harmony of the PRC and avoid creating rifts between the nationalities. The state media’s portrayal of the recent events in Tibet, using deceit and distorted images, could sow the seeds of racial tension with unpredictable long-term consequences. This is of grave concern to me. Similarly, despite my repeated support for the Beijing Olympics, the Chinese authorities, with the intention of creating a rift between the Chinese people and myself, the Chinese authorities assert that I am trying to sabotage the games. I am encouraged, however, that several Chinese intellectuals and scholars have also expressed their strong concern about the Chinese leadership’s actions and the potential for adverse long-term consequences, particularly on relations among different nationalities.

Since ancient times, Tibetan and Chinese peoples have lived as neighbors. In the two thousand year old recorded history of our peoples, we have at times developed friendly relations, even entering into matrimonial alliances, while at others we fought each other. However, since Buddhism flourished in China first before it arrived in Tibet from India, we Tibetans have historically accorded the Chinese people the respect and affection due to elder Dharma brothers and sisters. This is something well known to members of the Chinese community living outside China, some of whom have attended my Buddhist lectures, as well as pilgrims from mainland China, whom I have had the privilege to meet. I take heart from these meetings and feel they may contribute to a better understanding between our two peoples.

The twentieth century witnessed enormous changes in many parts of the world and Tibet too was caught up in this turbulence. Soon after the founding of the People’s Republic of China in 1949, the People’s Liberation Army entered Tibet finally resulting in the 17-point Agreement concluded between China and Tibet in May 1951. When I was in Beijing in 1954/55, attending the National People’s Congress, I had the opportunity to meet and develop a personal friendship with many senior leaders, including Chairman Mao himself. In fact, Chairman Mao gave me advice on numerous issues, as well as personal assurances with regard to the future of Tibet. Encouraged by these assurances, and inspired by the dedication of many of China’s revolutionary leaders of the time, I returned to Tibet full of confidence and optimism. Some Tibetan members of the Chinese Communist Party also had such a hope. After my return to Lhasa, I made every possible effort to seek genuine regional autonomy for Tibet within the family of the People’s Republic of China (PRC). I believed that this would best serve the long-term interests of both the Tibetan and Chinese peoples.

Unfortunately, tensions, which began to escalate in Tibet from around 1956, eventually led to the peaceful uprising of March 10, 1959, in Lhasa and my eventual escape into exile. Although many positive developments have taken place in Tibet under the PRC’s rule, these developments, as the previous Panchen Lama pointed out in January 1989, were overshadowed by immense suffering and extensive destruction. Tibetans were compelled to live in a state of constant fear, while the Chinese government remained suspicious of them. However, instead of cultivating enmity towards the Chinese leaders responsible for the ruthless suppression of the Tibetan people, I prayed for them to become friends, which I expressed in the following lines in a prayer I composed in 1960, a year after I arrived in India: “May they attain the wisdom eye discerning right and wrong, And may they abide in the glory of friendship and love.” Many Tibetans, school children among them, recite these lines in their daily prayers.

In 1974, following serious discussions with my Kashag (cabinet), as well as the Speaker and the Deputy Speaker of the then Assembly of the Tibetan People’s Deputies, we decided to find a Middle Way that would seek not to separate Tibet from China, but would facilitate the peaceful development of Tibet. Although we had no contact at the time with the PRC – which was in the midst of the Cultural Revolution – we had already recognized that, sooner or later, we would have to resolve the question of Tibet through negotiations. We also acknowledged that, at least with regard to modernization and economic development, it would greatly benefit Tibet if it remained within the PRC. Although Tibet has a rich and ancient cultural heritage, it is materially undeveloped.

Situated on the roof of the world, Tibet is the source of many of Asia’s major rivers; therefore, protection of the environment on the Tibetan plateau is of supreme importance. Since our utmost concern is to safeguard Tibetan Buddhist culture – rooted as it is in the values of universal compassion – as well as the Tibetan language and the unique Tibetan identity, we have worked whole-heartedly towards achieving meaningful self-rule for all Tibetans. The PRC’s constitution provides the right for nationalities such as the Tibetans to do this.

In 1979, the then Chinese paramount leader, Deng Xiaoping assured my personal emissary that “except for the independence of Tibet, all other questions can be negotiated.” Since we had already formulated our approach to seeking a solution to the Tibetan issue within the constitution of the PRC, we found ourselves well placed to respond to this new opportunity. My representatives met many times with officials of the PRC. Since renewing our contacts in 2002, we have had six rounds of talks. However, on the fundamental issue, there has been no concrete result at all. Nevertheless, as I have declared many times, I remain firmly committed to the Middle Way approach and reiterate here my willingness to continue to pursue the process of dialogue.

This year, the Chinese people are proudly and eagerly awaiting the opening of the Olympic Games. I have, from the start, supported Beijing’s being awarded the opportunity to host the Games. My position remains unchanged. China has the world’s largest population, a long history and an extremely rich civilization. Today, due to her impressive economic progress, she is emerging as a great power. This is certainly to be welcomed. But China also needs to earn the respect and esteem of the global community through the establishment of an open and harmonious society based on the principles of transparency, freedom, and the rule of law. For example, to this day victims of the Tiananmen Square tragedy that adversely affected the lives of so many Chinese citizens have received neither just redress nor any official response. Similarly, when thousands of ordinary Chinese in rural areas suffer injustice at the hands of exploitative and corrupt local officials, their legitimate complaints are either ignored or met with aggression. I express these concerns both as a fellow human being and as someone who is prepared to consider himself a member of the large family that is the People’s Republic of China. In this respect, I appreciate and support President Hu Jintao’s policy of creating a “harmonious society”, but this can only arise on the basis of mutual trust and an atmosphere of freedom, including freedom of speech and the rule of law. I strongly believe that if these values are embraced, many important problems relating to minority nationalities can be resolved, such as the issue of Tibet, as well as Eastern Turkistan, and Inner Mongolia, where the native people now constitute only 20% of a total population of 24 million.

I had hoped President Hu Jintao’s recent statement that the stability and safety of Tibet concerns the stability and safety of the country might herald the dawning of a new era for the resolution of the problem of Tibet. It is unfortunate that despite my sincere efforts not to separate Tibet from China, the leaders of the PRC continue to accuse me of being a “separatist”. Similarly, when Tibetans in Lhasa and many other areas spontaneously protested to express their deep-rooted resentment, the Chinese authorities immediately accused me of having orchestrated their demonstrations. I have called for a thorough investigation by a respected body to look into this allegation.

Chinese brothers and sisters – wherever you may be – with deep concern I appeal to you to help dispel the misunderstandings between our two communities. Moreover, I appeal to you to help us find a peaceful, lasting solution to the problem of Tibet through dialogue in the spirit of understanding and accommodation.

With my prayers,

The Dalai Lama


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テーマ:国際ニュース - ジャンル:ニュース
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